赤ちゃんの泣き声にイライラするのは母親失格?(シン・ゴジラに絡めて考察)

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赤ちゃんの泣き声にどうしてもイライラしてしまうことがあります。

「早く泣き止まさなくちゃ」
と思うのですが、慌てれば慌てるほどぐずります。

誰もない家の中だったら、ため息をついたり「なんで泣き止まないの?」とつい赤ちゃんに当たってしまいます。

ところが、電車の中など移動できない空間で赤ちゃんに泣かれると、自分がイライラするよりも、周りの人がイラついていないかが気になりますます慌ててしまいます。

誰も味方がいないような気になってしまいますね。

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赤ちゃんの泣き声に「イライラ」するのは、実はお母さんが早く赤ちゃんの要求に対処するように、「母親の脳がイライラするようにできている」からなんだそうです。
赤ちゃんが夜泣きをして起きるのはいつも私・・・とイライラするお母さんも多いかと思いますが、男性には赤ちゃんの泣き声に対して女性ほどイライラするしくみにはなっていないそうです。それでグウグウ寝ていられるのかも・・・^^;

というわけで、泣きじゃくる子供がかわいく思えないのは母性本能の一部で、仕方ないことなのですね。
むしろ赤ちゃんにとっては、「泣いているのにニコニコして放っておいてくる母親」の方が脅威なのです。

赤ちゃんにとっては、母親がいないことより、母親がその場にいるくせに何もしてくれないことの方が悪影響なんだそうです。
というわけで、イライラしてしまう事で自分を責める必要はまったくありませんよ。^^

さて、話は変わりますが、先日大人気の映画「シン・ゴジラ」を観ました。
エヴァンゲリオンでおなじみの庵野秀明監督が作った話題作です。

私はこの映画を観たとき、子供を持つ母親という立場から「本当にゴジラが来たら、どこに避難しよう?」ということばかり考えていました。
映画の中で、自衛隊によるゴジラへの攻撃が始まります。その現場は、まさに私が通った小学校の最寄り駅でした。
「避難所指定されているあたりが戦場のようになってしまった」と絶望的な気持ちになりました。

ところが、ゴジラが人間を不快にさせる「雄たけび」をあげた瞬間、突然、保育園に通う0歳児のわが子を連想したのです。

現在、ハイハイとつかまり立ちでごみ箱のゴミを全部出し、チラシや紙やクレヨンを口に入れ、我が家の小物たちは高台へ避難させるのが追い付かず、お茶の入ったコップも、ご飯の入ったお茶碗も、何度ひっくりかえされたことか・・・

作中のゴジラにも、政府のお偉いさんたちがあたふたして「行動予測しろ!」と理屈で対処しようとしますが、当のゴジラは「ただ歩いているだけ」。
ゴジラも赤ちゃんも一緒なんだな、という気がしてしまいました。

イライラして、赤ちゃんをコントロールしようとしても始まらない・・・

自ら生み出したわが子とはいえ、およそコントロールは不可能です。
泣いて母親の不快感情を呼び起こす赤ちゃんですが、共存していくしかないのです。

生活のリズムを崩され翻弄してくるわけですから、不快に思うのは当たり前。
自分の不快感情は「あるべきもの」として認めていきましょう。

P.S.我が家の最終手段は「ミルク(母乳)」です。「とにかく口に突っ込んで飲ませれば大人しくなる」。
  シン・ゴジラの結末にも若干通ずるものがある気がしています。(笑) いつまた起きて暴れだすかビクビクものですが。