胡蝶の夢 ~こちょうらんさん考察~

「胡蝶の夢」

古代中国の荘周が、夢で蝶になった。蝶になってひらひらと舞い遊ぶ夢だった。
夢から覚めると荘周に戻って、自分が夢で蝶になっていたことに気がついた。
しかし、今自分が荘周だと思っていることも、もしかすると蝶が荘周になっている夢を見ているのかも知れない。

・・・この話は、何も「夢と現実」のことだけを言っているのではない。

今生きている現実も、後になって思えば「夢を見ていたような状況だった」と思えるようになる瞬間が、きっと訪れるということ。

例えば、小さな時に母親にさんざん小言を言われてうんざりした経験を持っている場合は、結構多いと思う。
しかし、自分が大人になって子供を持ってみると、親が子供につい小言を言ってしまう気持ちが、ようやく分かるのだ。

子供の身の危険を守るためだったり、社会のルールをきちんと守らせるため、しっかり勉強して将来に備えさせようと、何かと口を出してしまう。

・・・そこで初めて、「ああ自分の親も、自分の事を心配して小言を言ってくれていたんだな」と初めて「気がつく」。

「気がつく」とは「夢から覚めた」感覚と同じだ。
「ああ、そういうことだったのか」と、「夢を見ていた(=子供の頃小言を言われてうんざりしていた)」時にはもてなかった、「気づき」がそこにある。

さて、ここでもうひとつ踏み込んでみる。

「子供の頃のうんざりした感覚」と「親になってから親の気持ちが初めて分かる」という感覚。

一見、前者が「成長前」で後者が「成長後」のように感じられる。

しかし、荘周の「胡蝶の夢」は、前者と後者に優劣をつけていないことに注目したい。

人間として感情や言語能力を持っている荘周が上で、のんきにひらひら飛んでいる蝶が下ではない。

どっちも皆同じ。

「子供の頃うんざりした」ということが、もしかしたら「親の気持ちが分かる」状態と比べて、より真実に近い場合もある。

だいたい、大人は子供に「自分の理想」を押し付けるものだ。

成績が悪い子供をしかりつけるのも、自分の頭の悪さを棚に上げて、将来いい学校に入れて周囲に見栄を張るためなのかも知れない。

社会ルールでは「うるさい=悪い」から、その理屈を振りかざして、ただ単に自分がテレビを見たいだけのクセに子供に静寂を強要しているだけかも知れない。

そうなってくると、意外に、子供が大人に対して「うんざり」と感じた事が、真実に近かったりする。

「こちょうらんさん」の見方が変わった

前々から「うすうす」気がついていたが、このブログで記録している「アンパンマン苦行」は、当初の想定とは意外な方向に向かっている。

「大人の目線で子供番組の「内容の物足りなさ」といかに向き合うか」という趣旨だった。

アンパンマンそのもののコンセプトには反戦や自己犠牲の精神があるのは確かだから、正直な所、なんとかそこを掘り下げるくらいしかやることはないだろうと思っていた。

2年ほど前に初めて目にした「こちょうらんさん」。

名前がまず「そのまんま」で何のヒネリもないし、どこのアニメにもいそうなよくいる高飛車キャラ。

年に1回出てくるか出てこないかの頻度だし、好き嫌いを述べるまでもない存在だと思っていた。

しかし、何度か目にするたびに、彼女が持っている「華」をなんとなく受け入れてしまっている大人のあたし。

守られるだけの存在じゃなく、「ばいきんまん、相変わらず美しくない振る舞いですわね」というよく分からないイチャモンをつけて、必殺技の「胡蝶の舞」で戦うチャイナドレスのこちょうらんさんはカッコイイ。

恐ろしい事に、年に1回出てくるか出てこないかの彼女のための、「こちょうらんさんのBGM」もちゃんと存在する。

ああ、ダサイと思って馬鹿にしていたアンパンマン、こんな末端のキャラクターの魅力をきちんと分かり始めてしまった自分の「目覚め」に、あたし自身が驚いてしまう。

次に待っているのは「妖怪ウォッチ苦行」

うちの娘がアンパンマンを大好きなのは、親戚たちも把握している。

ある親戚の男の子も昔はアンパンマンを好きだったし、今は妖怪ウォッチが好きだ。
その男の子の父親が、最近たまたまテレビでやってるアンパンマンを見て、「俺はよくこんなくだらない話を子供と一緒に見ていたなあ」と愕然としたらしい。
そのくだらない内容がどの回か知らないが、あたしは確実に見ているだろう。
恐らく、このブログを更新するために一生懸命「学び」を探しながら。

そんな風に学びなんか探さなくても、妖怪ウォッチは大人にとってもきちんと面白く作ってあるらしい。

「sayoちゃんたちも、miyoちゃんと一緒にアンパンマン見てるの大変だね。妖怪ウォッチはほんとに面白いよ」

そして会うたびに、まだ捨ててなかったのかと思うような使い古されたアンパンマンのおもちゃや絵本を少しずつ譲ってもらう。

あたしが「アンパンマン苦行」というブログをやっていることを知っているうちの旦那は、その光景を見て後ろで苦笑している。

あたしにもいずれ、親戚男性のように、「ああアンパンマン苦行なんて悪夢のようなくだらない時間だったな」と「目覚め」る時が来るのだろうか。

その時は、妖怪ウォッチだかプリキュアだか知らないが、いずれかの段階の苦行へ移行しているんだろう。

妖怪ウォッチもアンパンマンも、どっちがいいのか分からないし、どっちらがいいと思っていようが別に変わらない。

荘周と蝶がどちらか一方の夢であるか分からないし、どっちだったとしても変わらないように。

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