伊集院光とプリキュアから学ぶ仏教の教え

2015年度に放送されていた「Go!プリンセスプリキュア」は、仏教徒が厳しい修行の末に悟りを開く課程に例えられる。
絶望とは煩悩であり、グランプリンセスとは悟りを開いた仏の事である。

(※以下は大真面目に語った冗談なので、本当に真剣に仏教の道を究めんとする方や、プリキュアの大ファンという方は、絶対に読み進めないでください)

『歎異抄』という仏教本の教えが「Go!プリンセスプリキュア」の最終回を示唆している

【100分de名著】という番組が好きだ。

教科書で教わってもまったく興味の湧かない、「孔子や荘子、太宰治や枕草子」あたりのいわゆる「古典(名著)」を、専門家の解説と芸能人のコメントという対話形式で学ぶNHK教育テレビ(Eテレ)の番組だ。

学校で教わったはずの名著の内容は、大人になると何も残っていない。何も残っていないから当然、役にも立っていない。もしかしたら危険を回避したりネガティブな感情を抑制する「明言」や「考え方」を、学んでいたかもしれないのに。

ところが、100分de名著で学ぶと、これからの日常にいかせる知識に早変わりするからすごい。

その理由のひとつは、出演者の名著に対するコメントが分かりやすく、心に残るからだと思う。
特に、伊集院光が名著の解説を日常的なシーンに言い換えてくれるところが、分かりやすい。分かりやすすぎるくらいだ。

伊集院光の「実感のこもった納得感」の伝え方がすごい。

例えば、「荘子」に出てくる「機械ある者は必ず機事あり。機事ある者は必ず機心あり」たりのくだり。

伊集院光は、
「鈍行じゃ遅いんだけど、たまに『こだま』くらいの日がある」
「でも世の中は『適度な速度』じゃなくて、『常に最速で行こう』としちゃいますもんね」と分かりやすく言い直そうとしてくれる。

もう一つ、太宰治の「斜陽」や、その他の「女性の一人称」で語られた作品の手法について解説されると、「俺が伸び悩んでマツコデラックスが超売れる理由が分かった!」と言い出す。
「男が言うと男自身の言い訳に聞こえちゃう話も、マツコデラックスは意外と男に都合のいい事を言っているんだけど、女目線で語るから妙に説得力がある」

この伊集院光の例え方がいつも秀逸で、いつの間にか録画してまで観たい番組になってしまった。

そして、この「お堅い」名著解説番組が、急に「プリキュア」とテーマが重なってくるから油断できない。

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今月の100分de名著で扱っている名著は、仏教の本で、「歎異抄」という本。
「歎異抄」は日本で730年くらい前に書かれた仏教本。
親鸞というお坊さんの教えを間違った解釈で広めたり批判する人がいたとのことで、その弟子の唯円が「異を歎いて」書いた本、というのが定説らしい。

そんな「解説本」のような歎異抄が、これまた結局誤解されやすいので、むやみに人に読ませるなという注意書きがあるというから侮れない。

今回の100分で名著では、自分都合で解釈されがちなこの本を、ありがたいお坊さんが解説し、言葉の面白い伊集院光が、さらに分かりやすく噛み砕いて、視聴者にお届けしている。

毎回毎回、いち視聴者として噛み砕かれた食べカスを、おこぼれとして頂くあたし。
食べカス分くらいの栄養になってればいいんだけど。
いずれにしてもとっても大好きな番組です。

まだ1夜&2夜しか見ていないのだが、お坊さん(釈徹宗先生)が「人生(救いを求めること)は光と影」と解説していたのが印象に残っている。

この「光と影」。
たかが子供番組とはもはや言えない「プリキュア」とテーマが重なるのだ。
プリキュアで言うところの「夢と絶望」に置き換えられるところがある。

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今年の初めに最終回を迎えた「GO!プリンセスプリキュア」。

最終回の最後の最後、ラスボスとの対戦で「夢を潰して絶望させようとする」敵と、「絶望に負けずに夢を持ち続ける」プリキュア側。

これは、仏教書である歎異抄で扱っている「救われるのか?」「救われないのか?」という心の葛藤に置き換えられるのではないか。

急にプリキュアと結びつけたのは、決してわざとではない。

先日、プリキュアオールスターの映画を観てきた娘が、急に前のプリキュアが恋しくなったのか、前シリーズの「プリンセスプリキュア」の録画を観たいと言い出した。

最終回なので、テーマがまとめに入るまさに哲学的な内容である。

何気なく一緒に観ていたら、今月の100分で名著の内容といきなりリンクしてきて、「はっ!?」としてしまったんだな。

先代のプリキュア=キュアフローラは、ラスボスのディスピアとその部下クローズが融合した「最終形態クローズ」が現れた時に、「このまま戦っても何も変わらない。でも、だから、話さなきゃ!」と一人クローズの元へ向かう。

絶望は消えない、ディスピアを倒しても絶望は消せない。
どうする?

クローズは言う。「何度でも絶望させてやる。お前が諦めるまで」。

そこで主人公のプリキュアは悟る。
クローズに「絶望は消えない」と言われて、主人公のプリキュアも結局「うん、そうだね。絶望はなくならない」と同調するのだ。

「そもそも、絶望って何?」

プリンセスになりたい幼い頃の主人公と、お前なんかプリンセスになれるわけないだろ、と馬鹿にしてくる男の子の声の回想。

どこの世界にも、「どーせ無理」といちゃもんつけてくるヤツはいる。
「プリンセスになりたい」なんて抽象的な夢なら尚更である。

ラスボスとなったクローズが突きつけてくる、「プリンセスになりたいという夢がある限り、プリンセスになれないという絶望は消えない」という言葉。

もうこの「プリンセス」を「仏」と読み替えてもいい。

私は「プリンセス(仏)になれるの?」
「プリンセス(仏)になれないの?」
「悟れるの? 悟れないの?」

【生きることは思い通りにならない】
歎異抄の第4条にそんな記述があるそうだ。

生きることは思い通りにならない。
それでも頑張れる?
思い通りにならないことが分かってなお、夢を持ち続けられる?

プリキュアは強かった。
無敵だった。

「夢と絶望、その両方が私を育ててくれた」

落ち込まなかったら、励ましてくれた人に出会えなかった訳ですよ。
落ち込まなかったら、応援してくれている人に感謝なんかできませんでしたよ。

楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、ぜんぶひっくるめて、「夢」なんだ!

「夢」に「絶望」を含んだ瞬間だった。

辛いことはなかったことにできない。
なくしたくない。
(辛いことがあったから)今の私がいる!

「絶望にもありがとう!」
ありがとう!文春!みたいな事ですよ。

「時々負けちゃうかも知れないけど、何度でも絶望に立ち向かう!」

ラスボス・クローズは、「やれやれ、やめたやめた」と去って行ってしまった。
「また現れるぜ」と言い残して。

そうだね、だからまた絶望が現れたら、「こんにちは、絶望さん♪」と軽く?受け止めればちいのかも知れない。

この「絶望」は「煩悩」に読み替えるといい。
煩悩は、消えない。

わー、プリキュアって仏教本みたいだね♪
と思って、稚拙ながらも長文駄文をしたためてみた次第です。

P.S.

もちろん、4歳の娘は横で母親がこーんな深読みしてることなんて、理解してないですよ。

最近、宇宙飛行士になりたいと言い出した娘。

「親の言う事聞けない子はなれないよ。宇宙でリーダーの言う事聞けないと危険な目に合うから、そういう子は宇宙飛行士になれないよ。あとめっちゃ勉強しないとなれないよ」と言ったら「じゃ、ならない」ってさ。

まあこんな意志の弱い娘なので、今後、娘が夢を諦めなくてはいけない局面にぶつかることがあるのか分からないが、もしそんな局面にぶつかったら…。

プリキュアだね、プリキュアを観てもう一度頑張れ、と。子供番組と思って侮らず、お前はもう一度プリキュアを見ておけ!と。

…なんだかプリキュアの最終形態(グランプリンセス)の黄色い衣装が三蔵法師に見えてきたよ。

PP.S.

伊集院光本人は、プリキュアではなくアイカツと仏教をミックスしたらしい…詳しくはご本人のブログを読んでね。
伊集院光とアイカツと観音様