やなせたかし「テレビ白黒時代に司会者として出演」の謎

大正8年生まれの「やなせたかし」。

 

あたしは娘がアンパンマンの大ファンになってから、

やなせたかしの本も何冊か読んでみたことがある。

 

読んだきっかけは、「なぜ赤ちゃんはアンパンマンを好きになるか?」

の答えを探るためだった。

 

今は、そんな答えはもう載っていない事はわかっている。

それでも、

彼の半生を自身の筆で綴った「アンパンマンの遺書」は、

今でも愛読している。

 

今回は、その愛読書である「アンパンマンの遺書」から、

やなせたかしのエピソードをご紹介。

 

「アンパンマンの遺書」によると、

やなせたかしは「なぜか経験のない仕事をいきなり頼まれる」という経験を

何度もしている。

 

そのうちの一つが、

「漫画家なのに、NHKでクイズ番組の司会者として三年もテレビ出演していた」

というものである。

 

一家に一台テレビのある時代ではなく、街頭テレビの時代。

「テレビジョン創成期」に、NHKから「漫画学校」という番組で先生役として出演を依頼される。

これはいわゆるクイズ(バラエティー番組)で、やなせたかし本人によると、

「経費が安くて効率的だから」三年間も続いたそうだ。

落語家の立川談志とも共演していたということだ。

 

なんだか、もし残っているならちょっとその映像を見て見たい気もする。

 

とにかくテレビ出演・それも天下のNHKに毎週出演となると、

やなせたかしは町で出歩くと声を掛けられるほど、顔が売れるようになる。

 

(正直、あたしが子供の頃はアンパンマンは知っていても、

やなせたかしの顔を見て「あっ」と気づくことができたかどうか・・・)

 

しかし、漫画先生として顔は売れても、肝心の漫画は

代表作とよべるようなものがないままだったらしい・・・。

 

その頃、彼はアンパンマンもまだ書いていなかった。

 

しかし、顔が売れて町で声をかけられることについて、

「民放に出演したときはそうでもなかったのに・・・」と書いているところをみると、

それまでテレビ出演経験はあったようである。

 

なので、彼にいきなりテレビに出演の奇跡が起こった!というよりは、

細かいところで伏線はあったんだろう、と推測される。

 

要は、今でいう「辛酸なめ子」とか、そういう立ち位置だったのかな?

たとえが正しいか分からないが・・・。

94年の生涯で、3年間という短い期間だが、

りっぱな芸能人じゃん、と思ってしまう。

 

それにしても、番組が終わってから「だんだん声をかけられなくなる」とか、

「やなせたかし」ってそういえばいたなぁ、みたいな反応をされて、

さみしくなることも、きっとあったと思う。

 

昔、再ブレイクしたての有吉弘行が、「お前地獄見たことねぇだろ!」と

misonoに凄んでいたことがあったが、

もしかしたらやなせたかしの浮き沈みは有吉どころじゃなかったのかもなぁ、

と想像してみたりする。

 

しかしまぁ、なにはともあれ、

やなせたかしはこの「漫画学校の先生」という子供向け番組に出演したことで、

子供向け雑誌の漫画の依頼が増えて、「めいろ」やら「まちがいさがし」

なんかを手がけるようになった。

 

それが「アンパンマン」に繋がることになる、と。

 

本人は 「お金のためにやってる仕事」として割り切っていたらしいが、

そういう割り切った仕事からも、アンパンマンという傑作が生まれる伏線になるわけだから

分からないものだ。

 

まあ、あたしを含めた全ての人への、

「今やってる仕事がお金のために割り切ってる仕事だとしても、きちんとやりなさい」

というメッセージなんだろうと思う・・・。

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