「ジャムおじさんなら、きっと作れるわ!」
「ありがとう!」
「アンパンマンが生まれた日」の中の、バタコさんとジャムおじさんの会話。
目指している「生きてるパン」がなかなかできないジャムおじさんに対して、
励ましたバタコさんの台詞。
確信した!
バタコさんは、やなせたかしの奥さんの暢さんだ。
正確に言うと、「暢さんの性格の一部を切り取ったキャラクター」。
暢さんは、やなせたかしのことをずっと信じてついてきた奥さん。
なかなか「代表作」が生まれない夫に対し、
奥さんだけが「あなたはいつか絶対成功します」と言っていたらしい。
世間の誰も認めないのに、奥さんは確信していた。
とやなせたかしは著書で振り返る。
よく、自己啓発本で「自分は成功する」とポジティブに考えると本当になるという説があるが、
本人が自己暗示をかけるよりも、信じてくれる周りの人の方が大事なんだという説もある。
というわけで、やっぱりあたしも人の妻として、
夫を信じて支え続けることが大事・・・と改めて自分を振り返ってみる。
あたしも、
「大丈夫、あなたはいつか絶対社長になれます」
とか夫に伝えるべきだろうか。
本人に出世意欲がなくても効果が出るかもしれない。
でも、社長は大変なので別になって欲しくない場合はどうすれば・・・
・・・目標設定が間違っているかも知れない。
P.S.そうなると、やっぱりジャムおじさんとバタコさんの関係がアヤシイとかいう議論になりそうだが・・・。
アンパンマンのキャラクター間の恋愛が語られるとき、しばしば「ドキンちゃんとしょくぱんまんは結婚するのか?」とか、両思いなのか片思いなのか、ドキンちゃんとばいきんまんの関係は恋愛関係なのか何なのか、白黒はっきりさせよう!みたいな視点ばかりな気がする。
あたしは、「あいまい関係」のままにしておく方が、奥が深くて魅力的な気がする。
結婚して何十年も連れ添った夫婦は、一部の例外を除き「ドキンちゃんとばいきんまん」のような「マンネリな腐れ縁関係」か、
「ジャムおじさんとバタコさん」のような「夢の探求者とそれを支える助手」みたいな関係になるような気がする。男女が逆転していることもあるだろう。
(うちは「ドキンちゃんとばいきんまん」だな^^;)
自分の両親なんかも思い出してみても、父と母の場合は「研究者と助手」みたいな関係だった気がする。
もし、やなせたかしが「ジャムおじさん=自分自身」とみたてたなら、自分は年取っても、同い年の妻である暢さんを、物語の中で忠実に年をとらせる必要はなかったんだろう。夢を追う自分を、笑顔と励ましの言葉で支える存在。助手という役割で、若い頃の女性の姿でキャラクター化したのかも知れない。
PP.S. だが、あたしが読んだやなせたかしの著書で、バタコさんは奥さんの暢さんがモデルです、と書いてあるところはなかったような気がする。どちらかというと、暢さんの性格はドキンちゃんだと言っていたくらい。そもそも実在の人物はいろんな側面があるものだ。やなせたかしと暢さんも、「バイキンマンとドキンちゃん」みたいな「暇だな~なんか面白いことないかな~」とウロウロしている日も多かったかも。新宿でデパートめぐりをよくしていたらしい。デパ地価で新しいキャラクターの構想を練っていたのかも。