不登校の勉強の遅れはどうすれば良い?(未回復時期編)【ホームスクーラー】

不登校実録

はじめに

こんにちは。不登校の小3娘を持つ保護者のsayoです。

今回は、不登校になってまず心配すると言っていい「勉強の遅れ」「学習の遅れ」について考えたいと思います。

勉強の遅れよりも先に解決すべきことがある

不登校になると決まりきって「お子さんは心が疲れているので充電が必要です。休ませましょう」という論調にたどり着きます。

そして、もう少し専門用語を使って説明してくれる人は「自己肯定感が低下している」という言い方をすると思います。

「そんなこと言っても、1日授業を受けないだけでもどんどんみんなから勉強が遅れちゃう

元気になるのっていつ?何ヶ月も休めって言うのだろうか」

「何年も休むことになったらいよいよ勉強はどうなるのか? 留年になるのでは?

休み癖がつくから無理矢理にでも行かせた方が良いのでは?」

おそらく、大きな怪我や病気でもない、休ませたらゲームやYouTubeざんまいの子供を見たら「どこが心の充電なんだ」と焦ることと思います。1日2日ならともかく、何ヶ月も続けばもうなおさらです。

しかし、見た目にはわからないのですが「自己肯定感が下がっている状態で無理矢理学習させる」という行為は、「胃が荒れまくっているのに毎日ステーキを食べさせる」のに似ていると思うのです。

その場合、まずは胃の調子を整えて元気になってから、おかゆなど胃に優しいものを与え、本当に胃の調子が良くなって初めてステーキが普通に食べられる。

これと同じで、「自己肯定感を正常に戻し、そこから少しずつ学習に慣れさせていく」というステップが大事になってきます。

以下は、「子育てハッピーアドバイス」シリーズで有名な明橋大二先生の講演です。少し長いですが「学習」も「しつけ」も「自己肯定感がはぐくまれてこそ」とお話されています。(文部科学省/mextchannel

基調講演「子育てハッピーアドバイス~地域で家庭教育を支えるために~」

勉強どころか人生が遅れてしまう危険:自己肯定感を無視するとどうなるか

私は娘のケアのために不登校関連のNPOの見学やカウンセリングなど、この1年半の間に色々と参加してきました。その際、子供だけでなく「40才以上の大人の引きこもり」の方々の実態について知る機会がありました。

40才以上というと、私より年上の方です。

不登校の子供について悩んで参加したセミナーで、最後の方に語られた「大人の引きこもりが今深刻だ!」という主催者の話に、「今は自分の子供が不登校になって焦ってるのに、そんな他人事まで問題意識持てないよ・・・」と、その時は聞き流してしまいました。主催者に「そんな大きな社会問題の話は、もっと余裕のある別の人たちの前で話せばいいのに・・・」とイライラしたものです。

しかし後日、そのセミナーとは別に子供を含む引きこもり支援施設に見学に行った際、そこに通われている私より年上の40代の引きこもりの方を実際にお見かけする機会がありました。

率直な感想として、その方から感じたのは「ずいぶん長い間、周りからの軽蔑に晒(さら)されてしまった」という悲壮感でした。

「この人は、ご両親や家族からの愛情をきちんと受けているのだろうか

「周りの人から愛情を受けた人が、ここまでの申し訳なさや悲壮感を纏(まと)うことがあるだろうか

本人にはとても言えないものの、率直にそんなふうに感じました。

私は自分の娘が今の自分と同じくらいの年齢まで回復しなかったら?という可能性を初めて想像して、「勉強の遅れなんてものは表面的な問題に過ぎないかも知れない。今すぐどうにかしようと思わない方が良いかもしれない。もっと長期的で深くて根本のことを見ないといけないのかも知れない」と思うようになりました。

唯一の救いは、その40代男性の方が「家の外に出て、この施設に足を運んでいる」ということでした。スタッフの方とコミュニケーションを取り、施設に設置されたノートに何やらコメントを書いている。そのようにノートに向き合う姿からは、苦しみながらも「自分だけは自分をなんとかしなくてはいけない」という責任感のようなものを感じました。

引きこもりというと、人生に失敗したというレッテルを貼られがちです。引きこもりの問題は本人が成長して大人になると、急に自己責任の話になってしまいがちです。しかし、その方の頑張って立ち上がろうとしている姿を見て、「彼をここまで苦しめたのは本当に彼自身だけなのだろうか?」と感じました。

自分の娘が学校に行かなくなり焦ってどうにかしようとしていた私は、自分の視野が狭くなっていたことに気がつきます。

直感的に「このまま母親の私が今の状態の娘を受け入れないでいたとしたら、娘は大人になっても今目の前にいる彼のようにもがき続ける人生になるかも知れない」と思いました。

正直、その時その方ときちんと会話をした訳ではありません。しかし子供に対して期待や焦りを持ち続けるとどうなるか、それは軽蔑と何が違うのか、ずっと子供を苦しめることになるのではないか?と、40才過ぎた今も引きこもり支援を受けている彼の姿から、そのような無言のメッセージを受け取りました。

勉強よりも優先される子供の自己肯定感だが、それよりさらに優先するべき問題とは?

しかし当時の自分を振り返ってみても、その40代引きこもり男性の姿にビビって、すぐに娘の全てを肯定できたかというと、そうではありませんでした。娘は家にこもってゲームやYouTubeばかりで、母親としてはどうしても勉強の遅れが気になって、気が気ではありません。「少しは漢字ドリルや算数をやれば?」とちょっとでも提案すると過剰に癇癪を起こして、1日中布団から出ない娘にずっとイライラする日々が続きます。

子供の休息を許せないのは、自分自身にも許していないから

これは少しずつ気がついていったことですが、なぜ勉強しないで遊んでばかりいる娘にイライラしてしまうかというと、「親である自分が遊ぶことを許可せず、自分に厳しいから」なんですよね。

子供が不登校になると「まず子供を休ませましょう。勉強の遅れはいつからでも取り戻せます」と同じくらい聞く言葉があります。「お母さん自身の自己肯定感を上げましょう。そうすればお子さんの自己肯定感も上がります」というやつです。

正直、「そんなん言われてできるなら苦労しないよ」と思います。今もこの記事を読んでいるお母さんが「イラッ」としていないか、書きながら心配しているくらいです。

しかし、よく言われる話というのはある程度検証されて正しいことがわかってきたからよく言われているのだと思います。

子供の勉強は遅れる一方でも、それをよそに母親の自己肯定感を上げる方法

私は、自分ができることからはじめました。それは「気になった映画は観に行くようにする」ということでした。子供同様、自分にも甘えを許可する訳ですね。今では自分も見たいYouTubeはだらだら見る時間を設けるようにしています。結局、「子供の引きこもり行動が許せない、YouTubeを見ているのが許せない心理」って、もしかしたら「私は頑張っているのに、我慢しているのに、子供だけずるい」という気持ちも隠れているのかも知れません。

最初はやけくそでもいいと思います。

私も「自分もYouTubeとことん見てやる!」とか「遊んでやる!」と家事もサボってみたり、家にいてもいらいらするからと仕事から帰ってきた夫にバトンタッチしてファミレスにコーヒーを飲みに行ったこともあります。

親が自分を甘やかすと、ちょっとスッキリします。そして自分を甘やかしてちょっとスッキリしたらどうなるかというと、「やっぱりちょっとやりすぎたかな」と慌て始めます。この少し慌て始める気持ちや、このままじゃいけないという気持ちを体感することが大事です。おそらく、学校に行けずずっと遊んでいる娘にも「そろそろこのままじゃいけないな」という気持ちが同じように芽生えるはずだということが体感できるからです。

今の私は、自分もたまにはサボったりケーキセットを注文したり漫画や映画で楽しむことを許可することにしています。

つまり「不登校の子供の勉強の遅れを取り戻すプロセス」としては、「母親がサボる、休む、自己肯定感を育む」⇨「子供が休んで自己肯定感を回復するのを許して歓迎できるようになる」⇨「母親がユルくなることで、ようやく子供が母親に気を使わずに自己肯定感を回復させる」⇨「勉強の遅れを取り戻す」となります。

勉強の遅れはなぜダメなのか。母親の心に潜む本当の不安

そもそもなのですが、お世辞にもその全てが社会で役に立つ訳ではない学校の勉強の遅れを、なぜ私たちはこんなにも気にして焦って追いかけるのでしょうか。

そこには、「みんなと一緒じゃなきゃ不安」という気持ちの現れがあると思います。

「だって、勉強が遅れたら受験して良い学校に行けない

「良い学校に行けないと、良い会社に就職できなくて将来が不安

そう言いますが、2000年代の就職氷河期はすごかったですよね💦 本当に今、良い学校の卒業と将来の安定は直結しているのでしょうかね・・・?

「そうかも知れないけど、学歴はあるに越したことはない

確かにそうかも知れません。しかし、不登校になった今の子供を、どうなるか分からない将来のためのあるに越したことはないという程度の学歴のために犠牲にする理由はどこにもありません

「将来、将来」と言いますが、視野が狭い可能性が大いにあります。

これはあくまで一意見ですが、私は娘が会社員にならなくても生きていける方法を模索しようと思っています。会社員を目指さなければ、学歴を気にする必要はだいぶ減ります。学歴を気にしないということは「勉強の遅れも気にする必要はない」ということになります。社会人になってから学校に通って資格を取る方法もいくらでもあります。

最近は、副業からの独立の情報や、資産運用の配当だけで生活する「FIRE」の情報もあります。配当で暮らすというのは夢みがち過ぎるということであれば、山奥に住んだりモバイルハウスで移動しながら生活し、固定費を抑えて少しの収入でつつましく暮らす方法も紹介されています。普通に就職して仕事をする以外にも、社会的な自立をする方法があると知っているだけでも気持ちは楽になり希望が持てます。

何よりも、私自身は学校でまったく縁のなかった「エクセル」のピボットテーブルやらVLOOKUO関数という事務スキルや、TOEIC600点そこそこの英語力だけで就職したり転職したりしてきた経験があります。結局、職業人としての私を助けてくれたのは、学校以外で覚えたスキルです。会社員をやるにしても勉強の遅れが影響しない例を、私自身が体験しています。

勉強が遅れていることは本人が大人になってから本気で取り組みたくなった時から始めても遅くない。

仮に、いつまで経っても勉強への意欲が湧かなかったとしても、就労に必要なパソコンなどのスキルはいつからでも身につけられると思います。

勉強の遅れで焦る理由は、私たち母親がみんなと同じことをしている安心感を得たいから、そうじゃないと不安だからというだけなんですよね。「勉強が遅れて恥ずかしい」と「脇毛の処理してなくて恥ずかしい」はひょっとしたらほとんど同義で、ただの世間の同調圧力という可能性があります。

勉強は遅れたままでも、「それ以外のできていること」に目を向けてみよう

娘は不登校になって1年半が経ちました。相変わらずゲーム三昧で、YouTubeも大好きなのですが、実は娘は動画編集を自分でやってYouTubeで配信もしています

何かに興味があるだけで良しとしよう

娘が興味を持ってやっていることは認めてあげるようにしています。

以前はダンスが好きで完コピしたK-POPのダンスをYouTubeにアップしていましたが、今はゲーム実況にハマっています。しかも自分の顔も声もいっさい出さない「自動音声」によるゲーム実況動画を作 っています。

ダンスができているということは体を動かしているから体育の代わり。今はゲーム実況のシナリオを自分で考えてパソコンでローマ字入力と漢字変換もやるので国語の作文の代わりだと思うようにしています。

USJにオープンする「スーパーニンテンドーワールド」に行きたい!と言っているのは、しばらく外出もしたがらなかった頃に比べるとかなりの進歩です。

「すらら」や「スタディサプリ」も気になるけど・・・「今じゃない!」(笑)

 林修先生の「今でしょ!」の逆です。確かに「すらら」や「スタディサプリ」に代表される通信講座は学校の出席として認められる可能性がかなり高いですし、今すぐにでもやらせてあげたい衝動はもちろんあります。

しかし、「今でしょ!」は自己肯定感に問題のない子供には響く言葉だとしても、同じ言葉を不登校児に向けるわけには行きません。最初にも言いましたが、強い言葉は重ためのステーキみたいなもの。「丈夫な胃」を持った人には大変食べ応えがあり満足感も大きいでしょう。しかし「弱った胃」では受け付けられないのと同じです。

不登校児には「今でしょ!」ならぬ、「今じゃない!」と言ってあげたい。(流行らせたい・・・笑)

「すらら」や「スタディサプリ」のような通信講座はいずれは役に立つ日が来るでしょう。表向きにはかなり元気になってきた娘ではありますが、勉強の遅れをなんとかしようと焦りすぎるのは、今はまだ良くないと思っています。

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