子供が不登校になるのは親のせいなの? 〜事例紹介〜

不登校実録

はじめに

不登校について調べると、お母さん向けに「あなたのせいではありませんよ」「自分を責めないで」という言葉をかけてくださる類の、優しい記事を見かけます。

私ももちろん、そんな記事に涙したことは多々ありました。

お母さん自身がどうしようもなく参っている時は、「親のせいではありませんよ」と慰めてくれる記事に、救われることもあります。

なのでそのような記事がミスリードだというつもりはこれっぽっちもありません。

しかし今回は、そういう癒し系励まし系の論調ではなく、「本当のところ、不登校は親のせいなの?」というお話をしたいので、事例を紹介しつつ記事を書いていきたいと思います。

不登校は親のせいなのか 〜事例紹介〜

明らかに親の未熟な言動が不登校を招いたパターン

 (例)賭け事にお金を使うお父さん。学級費を払わないどころか、督促をする教師に対して職員室に怒鳴り込む。そんな状況を恥ずかしく思い、学校に行けなくなってしまった

⇨元の事例はこちらから引用しました。https://www.obatakazuki.com/27791501

親が「何でも先回り」。わがままが暴走して不登校になるパターン

 (例)過保護で、どこに行くにも送り迎えをしたり、宿題も学校の準備も全部親が手伝ったりやるまで監視したりケツを叩いたりして、子供は小さな失敗すら経験したことがない。やがて大きくなった子供が反抗(=自立)の一種として不登校という反抗方法を選んだパターン。小学校低学年ではこのパターンはあまり見られず、小学校高学年、中学生や高校生に見られるパターンのようです。

⇨本などでよく見かける事例です。「本当は甘やかして欲しくない、自分で自分の人生を生きたい子供が、どうにか自立しようとして、たまたま選んだ行動が不登校」なのに、表向きに起こっている「親の甘やかし」だけを見て「不登校は甘えが原因」などと決めつける論調も残念ながらあります。

 しかも、このパターンはある程度大きくなった子供が自分のことを自分でできない場合もあり、「子供が不登校になるのは頑張りすぎて疲れちゃっているから。まずは休ませなくてはいけない」というお決まりの対処法が合っていないにも関わらず、親がそれを実践してしまうことで問題を複雑にします。子供はいよいよ甘やかされて、「家庭内暴力」に発展したりもするようです。

親が受験や習い事など過度に負担をかけたため不登校になった

   (例)一つ前の「過保護」の事例とも違うけれど、「子供に立派になってほしい」と思って色々と教育に詰め込みすぎてしまうのは、結局は長い目で見て親が子供の人生を失敗させないために先回りをしていると言うことができます。これはやはり子供の自立を妨げている可能性があります。

ただし、子供への習い事の負荷が他の家の子と比べてもさほど多くないにもかかわらず不登校になってしまった場合は、自立のための反抗というよりも、子供が頑張りすぎてしまいキャパシティーオーバーしてしまった場合もあります。「親のせい」というよりは子供の性格の問題であったりするのですが、「子供の性格を見誤った親のせい」と言ってしまえばそれまでかも知れません。

 ⇨こちらは不登校の経験があるお子さんを持つ知り合いから直接聞いた事例です。今現在は回復傾向だそうですが、一人でいるとまだ情緒が不安定になることもあるとのことです。

学校でいじめをうけたのに親が守ってくれずに不登校になった

 (例)明らかないじめがあっても、親が周囲と軋轢を生みたくない、波風を立てたくないと思って学校ときちんと話し合ってくれなかった。この場合、子供は自分の尊厳を主張するために不登校という反抗的な行動を取っていた。もしかしたら、自分の要望を言葉できちんと説明できなかったかもしれないし、前にきちんと言葉で訴えたが親にはぐらかされた可能性もある。

 ⇨不登校サポート系の本で読んだ事例。アドバイスは「お母さん、学校に殴り込みに行ってください」でした。

不登校は「親の性格×子の性格」の組み合わせ次第で起こる

ここまでの事例を読んで、みなさんはどのように感じましたか?

私は、どの事例も「全ての子供が親のせいだけで不登校になるわけではない」と感じました。

唯一、「親が学校に殴り込んで理不尽な対応をする」という最初の事例は、子供が不登校になるのも仕方がないと思えるものでしたが、お子さん自身も強くて図太い性格だったり、親に逆らえないくらい気弱な性格であったら、同じことが起こったとしても不登校にならない場合もあるのではないかと思いました。

それ以外の事例も、子供が追い詰められて「たまたま不登校という形」で現れたと言うことができるかも知れません。コミュニケーションは言葉だけでなく、暴力に訴えたり、反抗という形で現れたり、体調を崩すという形で現れたりしますが、それが不登校の子の場合は「学校に行かない」という形で現れたと言うことができそうです。

そういう意味で、「親のせいで不登校になった」という単純な原因と結果の関係であると思うより、「何かの不調が子供の中で発生し、その結果、不登校という表現方法を子供が取っただけ。どうしてそれが不登校なのかというと、【不登校という行動が一番親に響きそうだったから】」ということなのではないかという仮説に辿り着きました。もちろん、子供が頭でそう考えたのではなく、無意識にそうしているのではないかと思います。

次の項目では「だからといって不登校になった子が弱い、悪いというわけではない」というお話をしたいと思います。

不登校は最悪の事態ではない

例えばですが、親が厳しくて学校を休ませてもらえず、学校でいじめられているのに行き続けたあげく、最悪の場合自殺してしまうかもしれないことがあるわけです。これは明らかに「死んでしまうくらいなら不登校のほうがまだ良かった」ということになります。

そして自殺もせず、不登校にもならなかった。学校は無事に卒業したという場合も手放しで安心できるわけではありません。我慢や抑圧で自分を押さえつけて学校に行き続けた子供が、後々大人になってからとんでもない犯罪を犯し、留置所で対面ということも起こりうるかも知れません。

「それだったら不登校になったほうがよっぽど良かった」ということが、大人になってからもいくらでも起こりうるわけです。私もそう思うと思います。ついこの間まで私は「不登校がどうにか解決するならもうなんでもいい!」と今がどん底のように思っていましたが、ずいぶん視野が狭かったと思います💦

不調の度合いが「不登校」で止まっているのは不幸中の幸いです。何かの不調や異常が娘に起こっていたのは確かで、不登校のお陰でそれに気づけたわけですから、「不登校でまだ良かった、まだラッキーだったんだ」と思うことができます。

まとめ

「不登校が最悪の結果ではない」ことを考えると「親のせいで不登校になった」ではなく、「不登校程度のインパクトで親が変われる可能性があることに子供が気づいてくれた」と考えるべきかも知れません。

不登校が誰のせいかという犯人探しをしたところで、現状は変わらないという体感があります。それは「不登校の原因は親である自分だ」と親が自分を責めることも同じで、仮に親が不登校の大きな要因だったとしても、親が自分のせいだったのだと自覚するだけでは何も変わりません。

「子供とコミュニケーションを取れる親であるかどうか」がキーポイントになってきます。不登校も実はコミュニケーションの一つの現れに過ぎないのです。つまり、不登校という行動なら親に届くだろうという、子供の必死の叫び声なのだと思います。あとは親がそれを受け取れるかです。それでもまだ「とりあえず表面的にでも学校に行ってくれればなんでもいい」と思ってしまうと、事態はさらに悪化する可能性があります。

私は娘にとって言葉の通じない、コミュニケーションの取れない親だったかもしれません。しかし今の私には少なくとも「不登校」という娘の取ったコミュニケーションは相当に効いています。娘が「この親には不登校が効き目があるかもしれない」と無意識にでも思ってくれたことはラッキーと思えることかも知れないのです。娘がもっと成長するまでストレスを我慢して、最終手段として死を選んだり犯罪者になる可能性もあったわけですから、不登校程度で済んでよっぽど良かったんだと思います。

とはいえ・・・ やっぱり不登校になる子は少数派ですから、なんでうちの子がねぇ・・・とふと思ったりもするものです。不登校キッズYouTuberのゆたぼんみたいにめちゃくちゃキレ良く堂々と不登校してくれれば良いのですが、うちの娘はちょっと学校の話をすると泣く、黙る、布団にくるまる。やっぱり気の毒・かわいそうに見えます。これは学校に行く背中を押して欲しいんかな?と一時期は小教室に連れて行ったものの「押すなよ〜押すなよ〜」が我が子の場合は本当に押しちゃダメなパターンでした。コミュニケーション、本当に取れているのかな?まだまだ手探りです。

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