「東京の人は、おしゃれじゃない人もいるのが逆にうらやましい」
これは、大分県から来た友人が言っていた言葉。
彼女の地元では、「高校生の私服はこういう恰好」というスタンダードが、ある程度決まっていたらしい。
みんながそこそこのおしゃれをすることが「礼儀」とか「常識」だったんだそうだ。
しかも、そのおしゃれにしても、おそらくnon-noとかセブンティーンとかzipperとか、当時のファッション誌から逸脱しない範囲で、地味過ぎず奇抜過ぎず・・・というカンジで、周りがみんな「そこそこおしゃれ」だったらしい。
それが、大学生になってから東京に初めて来て、「おしゃれな人しかいない」と思っていた原宿や渋谷を歩き、奇抜なおしゃれな人に驚いたのはもちろん、
「堂々と地味な人がいる」
ということに、実は一番驚いたんだそうだ。
・・・すいません、堂々と地味な人間の一人、sayoです。
^^;
全員が洗練されていなくてもいい自由が許されている。
実は、都会の特権はそんなところにあるのかも知れない。
あたしは逆に、大分県の知人に「地方の実態」を気づかされた。
のどかな山奥で、おしゃれなんて気にせず、すっぴんでいられるのかと勘違いしていたが、どうやらそうでもないらしい。
みんなが知り合い、みんなが親戚・・・
そんなコミュニティーでは、結構自分の意思でおしゃれする・あるいはしない・という選択肢すら、無意識に狭められている。
「おしゃれしない」「化粧しない」という特権が都会にこそあるとは。
都会はもっと、自由でいいのだ。
「メイクしないで出歩くなんて非常識」
「保育園の送り迎えも、きちんとした格好で」
というわけで、そんな風に自分の価値観を押し付けてくるヤツは、田舎者だと思うことにした。
堂々とすっぴんでいようと思う、今日この頃。
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