不登校児は日本人に多い? 自己肯定感が上がりにくい謙遜文化【ホームスクーラー】

不登校実録

日本人に「不登校」や「引きこもり」が多いのは謙遜する文化のせい?

この記事は、「日本人には自己肯定感が低い子供・若者が多く、それが不登校が多い要因になっているかもしれない?」ということについて考えた考察記事です。

日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査(2013年)を引用しました。

「自分自身に満足している」と答えた若者の割合は以下の通りです。

日本45.8%

韓国71.5%

アメリカ86.0%

イギリス83.1%

ドイツ80.9%

フランス82.7%

スウェーデン74.4%

ちなみに、「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」と思う割合については、

諸外国平均は80%に対し、日本は41.7%でした。

「迷惑をかけない」という前提があるにも関わらず、「迷惑をかけないとしても自分のやることは自分の自由にしてはいけない」と思う若者が半数以上というのにはびっくりします。

そうなってくると、本当は学校に行かない自由があってもいいのに「学校に行かなくても誰にも迷惑をかけないのかも知れないけど、自分は学校に行かないといけない」と考えてしまう子供は多そうです・・・。

特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~|平成26年版子ども・若者白書(概要版) - 内閣府
内閣府の平成26年版 子ども・若者白書(概&#3520...
書いた人

子供が小学2年生の夏休み明けから不登校。現在1年半が経過。ホームスクーリング制度を開始して、自宅での学習を出席として認められるようになりました。

これより下は、推測や憶測を含めた考察に過ぎないです。今とてもじゃないけど辛い・余裕がないお母さんはこの記事も含めて「自己肯定感がどーたらこーたら」という膨大な情報に左右されないでください。私も子供が不登校になりたての頃は、精神的に辛い中の情報収集はとても大変でした。一つ言えるのは、とりあえずエネルギーを蓄積してくださいということです。おすすめは「ハグ」「セルフハグ」「抱き枕や大きめのぬいぐるみ、毛布をぐるぐる巻にしたもの」にとりあえず抱きつくこと。これだけで内なるエネルギーが自分の中に確認できるし、蓄積される感覚を得られます。お母さんご自身が効果を実感したら、子供にもそれとなく勧めてください。情報収集はそれからでも遅くないです。

それでは、興味のある方はぜひ読み進めていただけると嬉しいです。

日本人の二つの文化「謙遜」と「本音と建前」が自己肯定感を下げている要因では?

日本人は「謙遜」を美徳としているため、自己肯定感の高さを確かめるアンケートでは他の諸外国に比べて低めに出てしまうようだ。

謙遜とは、へりくだった態度を取る行為。はみだすことをよしとしない日本の文化によく馴染む。しかし、日本人にはそれとはまた別に「本音と建前があって当たり前」、「腹の中で何を思っていてもそんなのは当たり前である」という本音を許容する文化も併せ持っている。みんなのために建前は守ってもらうけど、本音を持っているのは別に咎めないよ、というわけだ。「はみ出さないでね。集団の輪を乱さないでね。建前は守ってね。その代わりに、個人的な本音が存在することくらいは当たり前だよね。それは許容するよ」という文化なのだと思う。

この「謙遜(=建前)」という行為をしても自己肯定感をさげずに生きていける背景は「自分はダメだなんてこれっぽっちも思っていない」という「本音がある」ということが大前提。この前提が崩れてしまうと、日本人はもう、自己肯定感が下がるしかない行為ばかりやってしまっていることになる。

「親バカ」や「中二病」という言葉が生まれる背景

親バカとは親が自分の子供を自慢する行為全般で使われるスラングだ。自分を愛すること、子供を愛することを自然にできる外国人がこの言葉を聞いたらドン引きするかもしれない。ハラキリ文化との類似点を持ち出して考察が始まるかもしれない。おそらく海外からみるとこの言葉はとても滑稽であることは間違い無いだろう。

それから、中二病という言葉。これは出どころがはっきりしていて、元々は伊集院光がラジオ番組で編み出した造語で、今ではその枠を飛び越えて日本中で広く使われている。思春期特有の自意識にまつわるエピソードに用いられる単語であると、私は認識している。

この「親バカ」と「中二病」という言葉だが、「バカ」だの「病」だのという表現は、日本人特有の「謙遜」であると思う。謙遜はただの建前なのだ。自覚していようが自覚していなかろうが、「本当はバカでも病でもないけどね〜」という本音があってこその建前でしかない。まともに受け取って「バカは正さなきゃ、病は治さなきゃ」なんてやる必要はない。親バカも中二病も元を正せば「自己愛、家族愛」である。愛情を「バカ」とか「病」という言葉で表現する、日本人とはそういう特殊な謙遜文化を持っている。しかしその謙遜はあくまで建前であって、本音では自分大好き・家族大好きで全然構わないのだ。「本音で何を思っていても当たり前だ、集団の和を乱さないために建前さえ守ってくれればいい」これが本当の日本人のバランス感覚であると思う。

「謙虚」と「謙遜」、そして「卑下」との違いについて

ちなみに謙虚と謙遜は違う。謙虚は「のびしろ・ポテンシャル」に用いられるべきだ。まだ手に入れていない高みを目指したくて、これから手に入れるべきもの、まだまだ努力が足りないと思って謙虚な気持ちになることも大事だ。一方で謙遜は「能ある鷹は爪を隠し」ているだけ。謙遜している人がそのことについてまだまだ努力するかどうかといえば、おそらくしないと思う。それについて「まだまだですって言ってたくせに努力しねえじゃねえか」と誰かに指摘されたところで、それは指摘してきた人が「本音と建前」の文化を自覚していないだけだ。ここで注意しなくてはいけないのが「卑下」。卑下は謙遜とも違い、むしろ謙虚の逆で、「ちじみしろ」とでも言うべき危険なものだと思う。自分を卑下しすぎて過小評価の状態が続くと、「ちじみしろ」が本当にちじんでしまい、ただの過小評価だったはずなのにいずれ現実が追いついてしまう恐れがある。

国際化が進んで、「本音と建前」の文化が揺らいでいる?

これが国際化の影響なのかどうかは分からないが、何らかの原因で「本音と建前」という日本の文化が薄れつつあるのかも知れない。そもそも、どれだけの日本人が「本音と建前」の文化を自覚しているだろうか? 建前で謙遜しているうちに、本音を侵食してしまっている可能性は大いにありうると思う。もしかしたら昔からの文化とはいえ本音と建前という二面性があることに耐えられない性格の日本人も、ずいぶん昔からいたのかも知れない(その可能性は高い)。

国際化が原因かどうかはある意味二の次だ。「謙遜はあくまで建前である」という暗黙の了解があることに気づかず、「私なんてまだまだです」と言っているうちに「私はダメなんだ」と本当に思うようになったのだとしたら? もしかしたら「本音と建前という文化がある」ということに気づくだけでもだいぶ問題は解決に向かうかも知れない。

「いじり」と「いじめ」の違い

これは「いじり」と「いじめ」にももしかしたら当てはまるかも知れない。お笑いやテレビ文化で言うと、舞台上で面白おかしくいじられて、舞台裏でいじったほうもいじられた方も、「いやぁ〜いじってくださったおかげで盛り上がりました!」「こっちのいじりに面白く反応してくれてありがとう!」というフォローがある。もしくはフォローがなくとも暗黙の了解がある。これが本音(舞台裏)と建前(舞台上)の一番わかりやすい例かも知れない。これを混同することで、舞台裏でも味方がいない・フォローがないのであれば、これはいじめになる。いじった方がいじっただけだと言っていても、やられた方がいじめだと思えばいじめになってしまう。

まとめ:自己肯定感を上げるのは「本音」の部分だけでいい

「自分を過小評価するのはやめましょう」。自己肯定感を上げるためのワークにはこんなことがさらっと書かれていることがある。しかし、日本人の文化には馴染まない。そこで、「本音と建前のうち、本音部分だけでいいよ」ということを私はあえて言いたい。

「本音と建前」は、海外の大学では日本文化として教えているのをご存知でしょうか? 私が知っている事例では、韓国の大学で日本語学科に通っていた韓国人のお姉さんが「日本人の本音と建前についてレポート書かなくちゃいけないんだけど意味がわからない!」と嘆いていました。そのくらい、学術的にも国際的にも研究対象となるような興味深い文化であることは確かです。文化に良い悪いはありません。私が言いたいのは、自己肯定感が下がっている日本人特有の事情について、当事者である私たち日本人がもう少し自覚した方が良いのでは?ということです。

参考になれば幸いです。ではまた次の記事で会いましょう!

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