アンパンマン苦行をする理由

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「アンパンマン苦行」という概念とネーミングは、我ながら上手く思いついたもんだと自負している。

あたしはアンパンマンの熱烈なファンでもない。

かといって、いわゆる「アンチアンパンマン」でもない。

 

ただただ、子供に付き合ってアンパンマンを見ているだけ。

でも、実はアンパンマンの視聴者の中で圧倒的多数を占めるのが、

実は「ファン」でもなく「アンチ」でもなく、「アンパンマン苦行中」の人たちではないか?とも思う。

(もちろんアンパンマンを見ている幼児は全員ファンなんだろうが・・・)

 

このブログを作る前は、アンパンマンを見るのがストレスだった。

 

かつて学生だった頃。

友だち関係のストレスやテスト勉強のストレスは、日記で発散していた。

 

社会人になりたての頃は、

「楽天日記」が「ブログ」と呼ばれる前から利用して、文章を書いて発散していた。

 

 

だから、「アンパンマンがストレス」なら、

「ブログテーマにして発散してしまおう」と思いついた訳だ。

 

育児日記を書いている人は多い。

どうせなら、育児で一番ストレスと思っているアンパンマンに、

最初からテーマを絞った方が他の育児日記と差別化できると思った。

 

アンパンマン以外の育児ネタを語るにしても、

どうせなら同じようにアンパンマン苦行に耐えている人と気持ちを共有したい。

 

とはいえ、あたしはアンパンマン以外にも色々なネタを持っている。

そもそも、アンパンマンの熱烈ファンではないので、

アンパンマン以外の事に本来は情熱を注ぎたいのだ・・・。

(だからこそ、アンパンマンを見ている時間は苦行なのである)

 

そんなわけで、ここにひっそりとあたしの事を箇条書きにしてみることにした。

日本語が小卒レベルで社会人に

あたしは小学校を卒業してから、
親の仕事の都合でアジアの某国に居住するようになった。

その後、日本に帰国したのは23歳の時。
ほぼ丸10年、その国で過ごしたことになる。

某国では日本人学校ではなく、一般のローカルスクールに通ったため、
恐ろしいことに日本語が小学校卒業程度で止まっているのである。

合併を「ごうへい」と言ったり、
「帰省」と言われても「寄生」のことかと思ったり、
とにかく散々だった。
というか今でも散々である。

(会社の同僚に、
「今度の夏休みはキセイして、上げ膳据え膳なんだ~」と自慢されて、
「なるほど、久々に実家に帰ってつかの間のパラサイトを楽しむのか」と思ったり、
妙に意味が通じてしまったりもする)

よくもまあ、雇ってもらえたと感心してしまうが、
日本企業というのは、入社してしまえばそう簡単に人を辞めさせないらしい。

良くも悪くも現状をころころ変えたくないようだ。

お陰で、あたしの日本語能力は飛躍的に伸びた。
ここは黙って感謝しておくべきだろう・・・。

ちなみに「某国」とぼかしているのはあたしなりのポリシーがある。

最近、その国に居た事を口にすると、
あたしの人生の大部分がその国で占められてしまう事にようやく気づいたのだ。

この経歴や語学力を維持したり、生かそうとすると、
かえって自分のやりたいことが遠ざかっていく。

例えば、その国の資本の企業に勤めようと面接を受けたり、辞書や教材を買ったり。

それが、あたしにとってワクワクする事とは限らない。

ある意味、あまり車を使わないのに、
所有しているだけで税金やら駐車場代が出て行くのと同じ。

そんな訳で、このブログでは「某国」と言わせて貰おうかと思う。

 

 

大卒への憧れが無意味になった瞬間・・・

日本語レベルが小卒であることに加えて、
あたしは某国で通っていた大学を中退していた。

日本に帰国して社会人になったとはいえ、派遣社員に過ぎなかったあたし。

結婚を控えて、憧れの産休・育休を取るためには、
その前に正社員の座をゲットしておかねば、と考えた。

そこで、働きながら勉強できる通信制大学を選んだ。
通信で通える大学は色々あるが、海外の大学からの編入を認めていない学校もあり、
あまり選べる立場になかった。

法政大学の通信教育学部が一番最初に編入を認めてくれたので、
それ以降は探すのをやめてすぐに編入した。

これが、本当に甘く見ていた。

結局、3年次に編入したのに、卒業に6年かかってしまったのだ。

しかも、卒業する前に正社員への転職が成功したため、
そもそも卒業するメリットもなくなってしまった。

モチベーションを失った学習ほど、苦しいものはない・・・。

学習進捗はイマイチな中、
正社員になった会社で人生初ボーナスを貰い、
昇給を経験し、産休と育休もばっちり取得する。

育休中に卒論を書いて卒業してしまおうという魂胆もあったものの、
人生はそう上手く行かない。

結局、卒論に取り掛かった最後の期間は、娘が11ヶ月~1歳半の頃。

育児休業は既に明けていたので、定時に仕事を切り上げて、カフェで卒論を書いて、

夜8時に娘を保育園に迎えに行く・・・というハードな生活だった。

なんとか卒論は一発合格で、単位はギリギリ。晴れて卒業となる。
卒業できればなんでも良かった。

ちなみに、
「経営学」「組織論」「経営分析論」に興味を持って、
そっちの分野で卒論を書いた。

大卒の資格をゲットしたことで、
未だに色々な日本語慣用句が抜けているものの、
もう「小卒」ではないわけだから、
今まで感じてきた教育面での焦りからは、抜け出せそうである。

でも、「そういえば大学卒業してなかったんだ!・・・ってもう思わなくていいんだ!」
という開放感は、達成してみると、
「そういえば脇毛処理してなかったんだ!・・・ってもう思わなくていんだ!」
っていうのと何も変わらないレベルの解放感だったりする・・・。

そして後者の開放感は、大手脱毛チェーンで、
わずか600円で手に入れられたりするのだ。

 

育休中、実家の両親がほぼ同時期に他界する

人生色々あって育休中に卒論を書けなかった。

色々というのは、まさに実家の両親が他界したことだ。

実家の父は元々心臓に持病があった。
でも、母の方が先に、突然くも膜下出血で倒れ、翌日他界した。

あたしの娘はまだ2ヶ月だった。

授乳やら夜泣きやらで大変な時期で、
正直なところどうやって乗り越えたのか記憶が無い。

とにかく母がいなくなって、持病持ちの父をどうするかということだった。

あたしの兄弟は、姉が一人。しかし姉は某国に嫁いでいるため、
日本で父の面倒を見れるのは実質あたし一人だった。

父は栄養指導を受けていて、
今までは実際に食事を作る母が栄養士さんと打ち合わせをしていた。

母が急逝したため、その後の父の栄養指導はあたしが受けるハメになる。

担当栄養士に、母が他界したため今後は娘であるあたしに栄養指導をお願いしますと挨拶したところ、

「お孫さんの子守でお母さん疲れちゃったんですかね?」と言われてその無神経さにあきれてしまった。

同居していた訳じゃないし、子守も結局1回しか頼んでないし・・・。
なぜあたしと娘が母の他界の理由にされなくちゃならないのか。

結局、父も、母の他界4ヵ月後、手術中に容態が悪化。

あたしは手術室のすぐ外で待機していたので、
その慌しさも目の当たりにしていた。

そこへ例の無神経な栄養士はやってきて、まったく状況を把握してない様子で、
もう助かる見込みのない父の栄養指導を始めた。

ここまでくると滑稽過ぎて苦笑いである。

今もどちらかというとほほえましく思っていて、
まったく怒りの感情は沸き起こってこないもんである。

 

姉のパシリを事業化、開業届を提出へ

両親の他界をきっかけに、
海外在住の実の姉がやっている事業のアシスタントを請け負うことになった。

今までは母が担当していた仕事と、姉が現地で行っていた仕事を引き継ぐ形でスタート。

まあ妹なので、あたしも無報酬で色々手伝ったりしていたのを、
これを期にきちんと報酬をもらって働くことにした。

自宅で働くと保育園に入りづらいとか、
税金の申告がどうやら複雑らしいとか、
そもそもボーナスがないし、将来の年金額が減るしとか、
今までは色んな言い訳をして、姉の手伝いを本格的にやることは避けていた。

だけど、両親が早くに他界してしまい、
「正規雇用への執着」がどうも薄れてきてしまったのだ。

正社員の優越感は、あたしの人生に必要か?

子供一人当たり、通算100万円前後の手当てと
1年弱の休業期間。

それのために向こう30年間、毎日満員電車で通勤?

子供の発熱のたびに会社に気を遣って、
有給も取りづらくて・・・。

あたしが両親と同じ63歳でこの世を去るとしたら、
老後の安定は必要か?

もし63歳過ぎて長生きしてしまっても、
自立した働き方を目指して30年成長し続けたほうが、
会社にしがみついて働くよりもリスクが少ないのでは?

結局、苦労してゲットした正社員の座を手放すことにした。

今は個人事業主として届出を出し、姉のパシリをしながらお金を頂いている。

姉とは、両親との死別という同じ痛みを共有しているし、
事業の理念も同じ方向を向けるのでやりやすい。

実は今日も娘がヘルパンギーナという夏風邪にかかってしまったが、
びっくりするくらいあっさり休ませてくれた。
そして、娘が昼寝したら自然に仕事を始めていた自分がいる。

とにかく、気楽に、でも前よりも責任感を持って働いている。

 

 

社会への適合はそこそこに、「何をしてよろこぶ?」を問う

実は、おもむろに作曲を始めた。

アンパンマンの作者であるやなせたかしが
「80歳から作曲を始めた」
とエッセイで言っていたから。

まだ対した量ではないけれど、作曲教室に通い始めた縁で、
他の人のデモを歌ったりすることも増えてきた。

いずれライブもやるかも知れない。

やなせたかしに影響を受けたのは、作曲に関してだけではない。

 

今から10年以上前。
某国にいたとき、大学を休学してボランティアに参加した事がある。

このボランティア活動は1年にも及んだが、
ふたを開けてみると組織がブラックで、やっていることが散々だった。

集めた寄付金は貧しい子供たちのために使われるはずが、
あたしが失望して去った後、
ボランティア組織の本部ビルの建設に使われていた。

「なぜあたしはこの国にいるんだろう?

せっかくだから、何か世の中の役に立つことをしたい」

そんな動機は踏みにじられた。

でも、色々掘り下げてみると、あたしがボランティアに参加したのは、
誰かの役に立ちたかったからじゃない。

自分の存在意義を自分じゃない誰かに決めてもらえるから。
肝心なところで、逃げてしまったのだ。

結局は、自分の自立心の無さに、
どこかで気づくようになっているのかも知れない。

いずれにしても、この体験はあたしにとって、
組織の理想と現実のギャップに直面して、
「信じた正義は実は正義ではなかった」と思うにいたるには充分な体験だった。

 

あたしの「アンパンマン苦行」は、父と母を見送ってからほどなく本格的に始まっている。

両親との別れに気持ちの整理がつかないまま、月齢は6ヶ月、7ヶ月と、どんどん大きくなる娘。

アンパンマンなんて見ているくらいなら、あたしを立ち直らせてくれる本の一冊でも読みたいのに・・・。

だけど、「何が君の幸せ? 分からないまま終わる そんなのはいやだ」と

シンプルに直球で語りかけてくる、なつかしい主題歌。

両親の死を経験したばかりのあたしには、重たすぎるほど重たい問いかけだった。

 

 

やなせたかしのエッセイを読み始めて、戦争中に訳も分からず中国で戦闘して、敗戦。

今まで信じていた正義は正義ではなかった」という体験をしていたことを知る。

訳も分からず某国で過ごしたり、参加したボランティアの正義が信じられなくなった

あたしの経験と、おこがましいかもしれないが、重なって見えた。

あたしの父と母は二人とも享年63歳だったが、やなせたかしは94歳まで生きた。

単純にその長生きから何か学びたかったのもある。

 

しかし、やっぱり「アンパンマンを見ること」は苦行である。

テーマソングややなせたかしのエッセイまで言及すれば学ぶことはあるとはいえ、

毎週放送されている内容は、はっきり言って、ほとんど学ぶことはない。

無理やり意味を見出すから、苦行なのだ。

辛い事でも、それが絶対学びになると確信があれば、それはほとんど辛いとは言えない。

もしかしたら学びなんてないかもしれない、無駄かもしれない・・・

そんな感情と戦いながら、それでも学ぼうと、もがく。これこそ苦行だ。

 

仕方がない、子供が卒業するまでは、

無理やりテレビから引っぺがして格闘する体力も気力もないのだから。

自分の人生総動員して、なんとかアンパンマンに意味を見出す。

見切り発車でスタートした苦行、はたして終着駅はどんなところだろうか・・・。