やなせたかしとの出会い

育児中のオアシスのような「一人時間」をやなせたかしに貢ぐ

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娘が1歳になった頃、あたしはもう職場に復帰していた。

 

保育園へ子供を預けると、

とりあえずは会社に着くまでは久しぶりに一人になれた。

そしてお昼休みと、会社を出てから保育園に子供をお迎えに行くまでの時間。

これがあたしに与えられた自由時間だった。

 

「自由時間は移動時間だけ」なんて、

売れっ子芸能人じゃあるまいし、

と自嘲しつつも、 本当にその通りなのである。

 

この移動時間の往復2時間とお昼休みの1時間。

それも丸々3時間あるわけではなくて、

移動なら歩いている時間や電車の乗り換え時間もあるし、

お昼休みは昼食を食べている時間もある。

少し本を読むくらいの時間というのは細切れで2~30分ずつを3セットほどだ。

でもこれは本当にバカにできない、貴重な一人の時間である。

 

心底、復帰できる職場があって良かったと思った。

 

もちろん移動時間に関しては満員の通勤電車なので快適とは言えないが、

あたしの脳内・精神・注意を何に向けるかが自由であるということは、

何ものにも代えがたい幸福のように思えた。

 

 

さて、ここでアンパンマン苦行の話に戻るが、

親が「アンパンマンはなんとなく嫌いなんだよね」

と思っているくらいでは、

この苦行を避けることができないのはよく分かった。

 

では、なぜこんなにも、子供はアンパンマンが好きなのか。

 

嫌悪感よりもその頃には好奇心が大きくなっていた。

 

 

そしてあろうことか、

せっかく得た通勤時間と昼休みという布のはぎれほどの自由を、

「子供がアンパンマンを好きになる謎に迫る」という思いつきから、

原作者であるやなせたかしのエッセイを読破するために費やすという、

ありえない暴挙に出る。

 

いったいあたしは、やなせたかしにいくら貢ぐ気だ!?

・・・とはならず、

実はエッセイは全部、職場の近くの図書館で借りて読んだのだが。

 

やなせたかしが教えてくれるのは、正義のことなんかじゃない

 

結果どうだったかというと、

結局なぜ子供がアンパンマンにはまるのか、

理由は残念ながら分からなかった。

 

やなせたかしとは関係のないところで、

大人の商業主義がアンパンマンを生き残らせているのかも知れないし、

本当に多くの人が言うように

「アンパンマンの正義」が素晴らしくて残っているのかも知れない。

 

 

これは渦中のやなせたかし本人が、

「よく分からない」と言い残しているので、

その通りなんだと思う。

(2013年2月、復刻版「アンパンマンの遺書」のあとがきの中で)

「アンパンマンの遺書」は、やなせたかしが自身の妻に先立たれてから、 丸1年経った頃に書かれている。

一般的に「配偶者の死」がその人にとって一番過酷なストレスだと言われている。

やなせたかしにとってもそれは例外ではなく、

その悲しみを乗り越えた直後に書かれた「アンパンマンの遺書」は、

他のやなせたかしの著書とは違い、全体を通してどこかしら寂しく、淡々と書かれている。

 

一大ブームを巻き起こし、今現在も続いているアンパンマンのアニメ。

あたしが一番知りたかった、アンパンマンの人気の秘密についてどころか、

アニメが始まった頃の記述が出てきたのは

「アンパンマンの遺書」のページを9割ほど読み進めてからだった。

 

それもそのはずで、アンパンマンのアニメが始まったとき、

やなせたかしは既に69歳だった。

当時、まったく期待もされず半年で終わるとバカにされたアニメが、

まさかの大当たり。

チヤホヤされはじめたのが70歳で、

勲章を貰って天皇陛下ともご対面という、

名誉という意味では、上り詰めるところまで行った様にも見えるのだが、

やなせたかしはそれをすべて達観してまるで他人事のように見ていた。

 

アンパンマンのヒット以降の話だけ単体で聞くと、

やなせたかしは大器晩成の代名詞みたいな話で終わってしまうが、

1919年生まれの彼の半生が綴られた「アンパンマンの遺書」は、

あたしが教科書でしか知らない日本の近代・現代史を、

一人の人間の目線から語った、リアルに分かりやすく伝えてくれる解説書みたいだった。

 

 

アンパンマンの誕生までに、やなせたかしが経験してきた

戦争体験を含め、あらゆる仕事・出会った人・エピソードの全てが、

アンパンマンの作品中で扱われているわけではないものの、

「この親あって、この子が生まれたんだな」というのは納得できる。

 

アンパンマンの主題歌では

「そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び」

と言っているが、

戦中は兵隊として戦地に派遣されていて、終戦を迎えてようやく家に戻り、

家族から弟の死を知らされると

「生きているのがなんだか悪いと思った」と、当時の心境を語ったこともある。

 

戦争と敗戦という、それまでの常識がひっくり返ってしまう体験と、

食べ物に飢えるという体験。

これがアンパンマンの「正義はある日突然ひっくり返るから信じがたい、

本当の正義とは目の前の人にパンをあげるような優しさ」の原点ではある。

 

が、こういう体験は戦争時代を生きたほとんどの人が体験していて、

これだけがアンパンマン誕生の理由なら、作者がやなせたかしである必要はない。

そのくらいの歳の人なら誰でも作者になれてしまう。

 

戦後のやなせたかしの活動は、

漫画家なのか、構成作家なのか、雑誌記事のライターなのか、絵本作家なのか編集者なのか、

なんだかよく分からない。

三越デパートの社員もやっていて、包装紙のデザイン担当だったり、

NHKのクイズ番組で司会進行のようなテレビに出る仕事も短期間だがやっていたりもする。

サンリオの「詩とメルヘン」の編集長もやってヒットさせている。

キティちゃんがサンリオで生み出された同時期に、やなせたかしはサンリオの仕事をしていたのだ。

それから童謡「手のひらを太陽に」の作詞も。

 

宮城まり子、永六輔、いずみたく・・・と言われてもどうもあたしにはピンと来ないが、

これがそうそうたる面々らしく、こういう人たちと仕事をすることで実力を磨いたらしい。

手塚治虫にもなぜか声をかけられ、手塚治虫がそれまでの子供向けのアニメから一転、

初めて大人向けアニメを手がけて成功するときにも手伝っている。

やなせたかし自身にとっては逆に、アニメを手がける初めてのきっかけとなる。

 

戦後40年近く漫画家として浮いたり沈んだり、

なんだか華々しいようで、かといってこれといったヒットはずっとなく、

収入も実のところぱっとしなかったらしい。

 

「さて、おれは何をやってるんだろう?」

と、ずっと悩みながらも走り続けていたのが、やなせたかしと言える。

 

アンパンマンの主題歌の、

「何のために生まれて 何をして生きるのか」

という歌詞は、決して本人が答えを見つけたから「あなたも考えたら?」と言っているわけではない。

 

いつも自分はB級C級と謙遜(自嘲?)しながら、

表現の世界という浮き沈みの激しい世界でアンパンマンという一筋の水脈を見つけたことを、

「才能はなかったが幸運に恵まれた」と言っている。

 

アンパンマンがヒットした後も、

アンパンマンそのものの人気が低迷している時期もあったらしい。

「アンパンマンも、ようやくぼくの視点が定まった」と言っているのが、

やなせたかしが他界する8ヶ月前。2013年2月のことである。

1973年にアンパンマン絵本が最初に発売された、とやなせたかしは回想しているから、

アンパンマンの方向性は40年経って、ようやく定まったということになる。

 

「何のために生きるのか」と問いかけているやなせたかしもアンパンマンも、

答えはそう簡単には見つからないことを、身をもって教えてくれている。

 

結局、やなせたかしの本を読んでもアンパンマンのヒットの秘密は分からなかったし、

「何のために生きるのか」は問いかけられたまま、あたしも分からないままだったが、

やなせたかしのエッセイから、「何かをやり続ける姿勢」のようなものを感じ取れた気がする。

 

あたしは自分が何のために生きているのか分かっていない。

大人になってからはいつの間にか「地に足をつけること」ばかり考えていて、

こんなに色んな選択肢に溢れている世の中になっている中、

普通に食べていくことばかり考えていた気がする。

 

やなせたかしのエッセイにそんなに感動したんなら、

あたしはここでアンパンマンの大ファンになって、

25年分のアニメに映画に 惜しみなく時間を費やして完全制覇、

アンパンマン博士を目指すという道もあるのかも知れない。

 

でも「正直そういうんじゃないんだよな」と思う。

 

アンパンマンの主題歌が問いかける

「何が君の幸せ?」のあたしの答えは、

「アンパンマン博士になること」ではないのは確かだ。

 

 

 

一つ前:無駄な抵抗を試みた時期

 

 

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